ハイキング@マレーシア レダン山★
シンガポールに行くついでに一人でひまなので、マレーシアにハイキングに行くことにした。
事前にネットなどで調べ、グヌン・レダン(標高1276m)という山がシンガポールから適度な距離で、麓にちょうどいい宿泊施設があったのでそこに行くよう計画を進めた。
地元の呼び方 Gunung Lendang, 英語 Mt.Opher
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シンガポールからマレー鉄道に乗り、国境を越えてマレーシアのサガマッという街で降りる。シンガポールから四時間ほどでマレーシアの景色はほぼすべてパームヤシのプランテーション農園という景色。
観光客も多いし人種もいろいろで治安のよいシンガポールから、明らかに日本人が一人もいなさそうな、観光地でも何でもない、夕暮れの田舎町に降りたった。メーターの付いていないタクシー(80年代のベンツ)に乗る。タクシーの運転手はおそらく中国系マレー人で、見た目は日に焼けた日本人の農家のおじさんと言ってもおかしくないが、英語がお互いそれほど得意ではなく、コミュニケーションが難しかった。
予約しておいたグヌンレダンリゾートにチェックイン。一人でホテルのレストランで食事。
白米、トムヤムクン、ほうれん草と魚の油炒め、コーヒー、量は多かったが、700円くらい。
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翌朝、6:30に起きて朝食を食べ7:00にロビーに集合。この山は国立公園で外国人の場合はガイドをつけないといけない? とのことだった。リゾートのオーナーのテイ氏に僕は、他のグループ(シンガポールから来ていた二十数名)に混じっておくように言われた。向こうのグループもいきなり言われて若干戸惑ったようだったが、あたたかく迎えてもらえた。僕としてもガイドの人と一対一で登るのも気まずいなと思っていたのでよかった。
送迎のボロボロのワゴンバスにぎっしり乗り込み登山口まで行く。登山口の国立公園管理事務所のようなところで、スカーフを巻いた若い女性の職員、にゴミを捨てないように、などの説明を受ける。
登り始めるが、それほど日本の山と変わらない。ただし常夏の国なので、一週間前に雪が降った京都から来た僕は結構しんどい。一緒に登っているシンガポールのグループは暑さは慣れているようだし、山に登るということのない国に住んでいる割には、元気だった。話を聞くと、インターネットで知り合ったグループで初めて会った人も多いとのことだった。地元でロッククライミングやマラソンなどをしたりはしている人が多かった。しかし数人は脱落する人も出ていた。
※シンガポールの最高峰は(164m)
地元の中学生? の男女も一緒に登っていた。マレー系の女の子はスカーフで頭を隠しているのだが、頂上に着く頃は暑いらしくスカーフを取る子も多く、意外と普通の髪型だったりしてかわいかった。
樹林帯を登り続け、聞いたことのない蝉や鳥の声が聞こえてくる。一カ所、沢を越えたが、沢の水も生ぬるかった。
頂上について記念写真。
山としては、大きさ的にも人の多さ的にも比良の武奈ヶ岳や丹沢の塔ノ岳に近いと思う。
帰路も同じ道だったが、途中から雨になった。日本では体験したことのない大雨であたりも暗くなるほどだった。僕は雨の激しさに驚いたが、シンガポールの人たちは慣れているようだった。
一人、シンガポールのグループの女の子が足を痛めてだいぶゆっくりになったのでガイドのお兄さんが付きっきりになっていた。残りのメンバーは三々五々、バラバラと国立公園管理事務所に着き、濡れた服を絞ったり、お茶をしたりして待った。
無事足を痛めた女の子は降りてきたのでみんなから拍手される。
その日のうちに発って、マラッカに泊まろうかと思っていたが、暗くなってきたし疲れたので連泊するようカウンターで申請。あっさりOK。
前日と同じくホテルで一人で夕食。シンガポールグループに混ぜてもらってもよかったが、若干疲れて、がんばって英語でコミュニケーションする気力が不足。
・ナシゴレン、野菜スープのようなもの、ライムジュース。700円くらい。
4/4
翌日タンカクという街にタクシーで降り、高速バスでシンガポールに戻る。昨日同行したシンガポール隊は滝に水遊びに行くから一緒に行こうよと誘ってくれたが、夜の帰国の飛行機が心配だったので一足先にシンガポールに戻ることにした。乗り合わせがいまいちでシンガポールのオーチャードに着いたのが17:30頃になってしまった。20:30のベトナム航空で帰国。今回と行き来帰りとも、直行便が取れず、ホーチミン乗換の便だったので無駄に疲れた。
・物価はマレーシアは日本の1/3くらい、シンガポールは半分くらい、の感覚だった。治安はいずれもよかった。マレーシアの都市部はそうでもないらしい、ジョホールバルは喧噪で緊張感があったが、ほとんど通過しただけだった。
・グヌン・レダンは日本からわざわざ行く人はまずいないところだった。行きの電車も、帰りの高速バスも日本人は一人も見かけず、なかなか貴重な体験だった。「地球の歩き方」にも載っていない。僕のような物好きな人には楽しいかもしれない。
・多民族の社会だったが全く平和で、人々は素直で明るいと感じた。