東大雪ツアー@北海道

【行動概要】

登った山コースタイム
8/19(木)ニペソツ山 十六の沢コース登山口(5:20)?前天狗岳(8:00)?ニペソツ山(9:20-45)?登山口(13:00)【行動時間:7時間40分】
8/20(金)石狩岳・音更山 シュナイダーコース登山口(4:40)?石狩岳(8:00)?分岐(8:45)?音更山(9:30)?分岐(10:15)?登山口(12:30)【行動時間:7時間50分】
8/21(土)緑岳大雪高原温泉(9:10)?緑岳(11:20)?板垣新道経由?白雲岳避難小屋(11:50)
【行動時間:2時間40分】
8/22(日)旭岳・白雲岳小屋(7:20)?北海岳?間宮岳?旭岳(10:30)?白雲分岐?白雲岳(13:45)?小屋(14:40)【行動時間:7時間20分】
8/23(月)赤岳・小泉岳・緑岳小屋(5:30)?白雲分岐?赤岳(6:30)?小泉岳?緑岳(8:20)?大雪高原山荘(9:40)【行動時間:4時間10分】

【記  録】
 昨年の大雪十勝縦走に味をしめ、今年も北海道へ。北海道の夏山と言えば7月中旬から8月上旬がベストシーズンなのだが、私の仕事の都合で、夏山でもない秋山でもない中途半端なこの時期となった。しかし、北海道にしては比較的お天気に恵まれ(※7月中旬以降、北海道はずっとお天気がよくなかった。)、少しの夏と少しの秋の両方を感じることができた。下山後に入った岩間温泉や大雪高原温泉も、私の好きな白濁した湯であり、山と温泉を満喫することができた。
 今回の目的は、ニペソツ山・石狩岳・音更山に登ることと昨年悪天候で見ることができなかった高根ヶ原の雄大な景色を眺めること。日程と体力の許す最大限の計画を立てつつ、これらの目的を達成できれば御の字というゆったりとした気分で出かけた。
 当初の計画では、19日にウペペサンケ山、20日にニペソツ山、21日に石狩岳・音更山と北上してくるつもりであったが、21日の天気がイマイチの予報だったので、晴れている間に本命のニペソツ山・石狩岳・音更山に登ろうと、計画の前倒しをした。

1 ニペソツ山
  5時20分に登山口を出発。さすが北海道は朝が明けるのが早い。2週間前に、苗場山から佐武流山まで縦走したときには4時半でも暗かったが、こちらは4時でも明るかった。小天狗までは緩い尾根を淡々と登る。北海道の山に来たことを実感する針葉樹林(木の名前が覚えられません・・・)が続く。左手には、幌加温泉からニペソツ山に登るもう一つのコースである尾根が見えていたが、ルートは荒れているらしい。
  小天狗をトラバースして天狗のコルまで来ると、正面には前天狗が。左右に長い尾根を従え、なかなか立派な姿である。前天狗直下は見晴らしのよい岩礫帯であり、北側真正面に石狩岳・音更山、遠く北西方向に表大雪からトムラウシ山、オプタテシケ山を経て十勝岳に続く長大な稜線が見えていた。「昨年はあの辺りを歩いたんやね?」と指差しながら、御満悦に浸っていた。
それにしても、岩の上に座って山また山を眺めていると、日々の生活が嘘のように思えて気が遠くなってくる。毎日の慌ただしい生活とは全く別の時間が流れていること、この風景が長い冬と短い春夏秋を繰り返しながらこの風景であり続けていること。私が山に登る理由の一つは、山に流れる時間の中に身を置きたいからのような気がする。
  さて、面白い二重山稜の岩暦帯を越えて前天狗に着くと、突然、ニペソツ山の勇姿が真正面に。写真で見ていた通り本当に格好のよい山で、ホレボレしながら写真を撮りまくる。独断と偏見の「私の山姿ランキング」上位にランクインしたのは間違いない。前天狗からは、ニペソツ山が近づいてくるのを楽しみに、双耳峰の間を通り、天狗岳を越える。天狗岳を超えて150mほど下ったコル付近はハイマツが生い茂っており、2?3箇所でヒグマの糞を見かけた。あまり大きくはなかったので子供だと思われるが、比較的新しい感じだったので、気を引き締める。わざわざヒグマのテリトリーに入り込んで迷惑千万なのはこちらなので、何も文句は言えないが、できれば生きて帰りたいので鈴を盛大に鳴らした。
格好のよい山は登りがきついのが常で、コルから山頂直下までは、ルート脇の草をつかみながらの大奮闘であった。登りきったところで顔を上げると、左手に岩だらけのギザギザした山頂が覆い被さるように聳えており、あとはゆっくりトラバース気味に登るだけであった。ガイドブックでは、「この辺り急斜面で滑りやすく危険」として注意喚起しており、心配していたが、特に問題はなかった。
山頂には9時20分に到着。登山口からちょうど4時間であった。山頂は狭く、東面は足元からスッパリ切れ落ちていた。南に目をやると糠平湖やウペペサンケ山も見え、大雪・十勝の山々が全て目の前であった。ウペペサンケ山は頂上部が平らで台形の形をしており、一旦稜線に上がってしまえば、快適な縦走ができそうである。秋に、糠平温泉か菅野温泉から登ってみたいものである。
山頂でゆっくり栄養補給をし、下山開始。平日にもかかわらず、数パーティーとすれ違った。天狗岳の登り返しでヒーヒー言い、前天狗でニペソツ山の姿を目に焼き付け、直下の岩礫帯でナキウサギの声を聞いて(ナキウサギの姿を見たいと思うのだが、2人盛大に鳴らしている熊避け鈴の音で岩陰に隠れてしまうようである。)、13時には登山口に到着した。8時間弱の理想的な行動時間で、心地よい疲れと達成感に満たされながら、幌加温泉に向かった。

2 石狩岳・音更山
  昨年の大雪縦走の際に、石狩岳から根曲がり廊下、沼ノ原を経て五色岳に出ようかと思ったのだが、根曲がり廊下が恐ろしいハイマツ地獄らしく、「かよわい」女性2人ではどうにもならないことが判明し、断念した。今回は、シュナイダーコース往復で石狩岳と音更山に登るプランとした。  
  4時半過ぎに登山口を出発。駐車場には他に2?3台の車が停まっており、皆、私達よりも早く出発されたようである。しばらくは沢沿いのルートを行く。朝のすがすがしい空気が気持ちよい。1時間ほど歩いた頃、尾根取り付きに到着。横の木には「シュナイダーコース開削25周年/1986年9月15日/足寄山岳会」と書かれたプレートがくくりつけられていた。
尾根の東斜面をジグザグに登り尾根上に出る。しばらくは緩やかであったが、次第に、昭文社の地図に「標高差1,163mを5km強で登る。急斜面が連続」と書いてあったとおりの斜面となる。特に分岐までの350mは手と足を使って体を引き上げると表現した方がわかりやすいほどの登りであったが、頭上を覆うダケカンバの青々しい葉を見上げ、美しい裾野を広げたニペソツ山や遥か東側の山々の麓に沸く雲海を眺めながらの楽しい登りであった(もともと、ロープを使わない程度の急登は好きなんです・・・。)分岐直下からは、石狩岳から川上岳に続く男前な稜線となだらかな音更山が見えた。
予想以上に早く到着したので、分岐からは、どっしりとした石狩岳にのんびりと登る。ルートの脇にはブルーベリーの実がたくさんなっており、「ヒグマのエサを奪ってるよね?」と言いながらも、座り込んでセッセと食べていた。
石狩岳には8時に到着。もう少し先にこちらより1m標高が高いピークがあるらしく、他の人はそちらまで足を伸ばしていた。頂上からは、沼ノ原や高根ヶ原のだだっ広い台地が見えた。昨日のニペソツ山よりも表大雪に近いので、旭岳や白雲岳などの御鉢平を取り囲む山々がより大きく見えた。頂上は風が強く、とても寒く感じられた。ウールの長袖に袖を通し、中厚の手袋と毛糸の帽子を着けてようやくホッコリできた。
分岐に戻って今度は音更山へ。ルート上で出会った人は皆、石狩岳のみで下山された。分岐のすぐ先のハイマツ帯では、ブルーベリーを食べたと思われるヒグマの紫がかった乾いた糞を見つけ、またもや肝を冷やす。ハイマツ帯を抜けると、大きな岩が重なり合った広い斜面を登っていく。視界がよいので問題はなかったが、アルプスのようにペンキマークが岩にこれでもかと付いているわけではなく、ピンク色のテープを巻きつけた細くて低い枝がポツンポツンと立っているだけなので、ガスが出るとルート取りに苦労しそうであった。特に下りは、コンパスをしっかり合わせて下りないと、ハイマツ帯まで辿り着けない恐れもあると思う(まあ、ヒグマのことを考えても、ガスっているときには歩かないに越したことはないです・・・。)。
  音更山の静かな山頂に到着。十石峠に続く稜線が見えていた。どこまでも歩いていきたい気持ちになったが、元来た道を戻り、12時半には登山口に到着。その日は、岩間温泉でゆっくりした。  
このコースの魅力は、表情の異なる2つの山に登れること、表大雪とニペソツ山が両側に見えること、尾根一直線のシュナイダーコースを歩けることだと思う。歩いていて楽しかったという点では、ニペソツ山のコースよりもこちらのコースに軍配が上がる。シュナイダーコースは、秋の紅葉の美しい時期に、もう一度登ってみたいと思う。そのときには、是非、十石峠にも足を伸ばして周遊しようと思う。

3 緑岳・旭岳・白雲岳・赤岳・小泉岳
  「高根ヶ原の雄大な景色を見たい!」「1日ぐらいは山の上で泊まりたい!」という両方の希望を叶えるべく、3日目は、大雪高原山荘から緑岳を経て白雲岳避難小屋に入った。朝9時スタートで、空は晴れており、とても暑かったが、昼から天気が崩れるとの予報だったので、ハイペースで登った。第一花畑と第二花畑はチングルマの赤ヒゲで覆われており、さぞ夏は綺麗なのだろう。リンドウやウサギギクはまだ残っており、既に終わっていると思っていた花を楽しむことができた。
  緑岳に登り始める斜面の手前はハイマツ帯になっており、一部ポッカリと高根ヶ原方面にひらけた場所には、「この場所で食べ物を食べないでください。ヒグマをおびき寄せる原因になります。」という恐ろしげな看板が立っていた。
  緑岳へは約300mの登り。登山口を登り始めた頃には晴れていた空が、緑岳の斜面を登る頃にはドンヨリとした雲に覆われ始め、高根ヶ原をも覆い隠そうとしていた。風が強く、雨具を着ていても寒かった。雨が降り出す前に小屋に入ろうと必死に歩いたおかげで、昼前には白雲岳避難小屋に到着することができた。小屋には昨年お世話になった管理人さん2人がいらっしゃって、とても懐かしかった。水場の周辺には、橙色の大きなキンバイや薄紫色のフウロがたくさん咲いていた。荷物の整理をし終わる頃には、外は真っ白いガスに覆われており、高根ヶ原は全く見えなくなっていた。有り余る午後の幸福な時間を、お茶を飲んだり、小屋の本棚に置いてあったナキウサギや高山植物や北海道の山に関する本を眺めたり、昼寝をしたりして過ごした。その日の小屋は大盛況で、1階と2階を合わせて25?30人が泊まった。富良野岳から縦走してきた筑波大の学生パーティーや、クワウンナイ川を遡行してきた大阪のおじさんパーティーなど、様々であった。
  その日は19時頃に横になったが、夜中に、小屋を揺らす強風と大雨の音で目が覚めた。「テントでなくてよかった?」と思って再び眠りについたが、夜中にトイレに起きたY本さんによると、小屋とトイレの間のわずかの距離の往復が大変だったらしい。
  朝6時には雨も止んだが、空はまだドンヨリとしていた。さて、今日の行動をどうするか。天気予報では回復傾向と言っていたが、この時間からのスタートで沼ノ原登山口に下山するのは難しく、白雲岳や赤岳に足を伸ばしてから大雪高原山荘に下山する案に決まりそうであった。しかし、Y本さんが、仲良くなった管理人さんから「そんなに急いで下りないで、旭岳を往復して、もう1泊するのはどうですか?」という提案を受け、「それがあった?!」と直ちに決定。100名山にこだわりのない私達は、Y本さんが3回目、私が2回目の大雪なのに、旭岳に行く計画を全く立てておらず、この機会を逃がすと、今後登ることはないような気がしたからである。  
というわけで、にわか作りの山行計画が出来上がり(留守本部のM田さん、スミマセン・・・。)、7時過ぎに小屋を出発。小屋の常連さんから、「今日は風が強いから気をつけて」とのアドバイスを受け、白雲分岐に向かう。振り返ると、小高い丘(氷河地形らしい)の上に立った赤い小屋がとても可愛らしく見えた。北海平からは名前のとおりの烏帽子岳とどこが頂上かわからない平らな小泉岳が見えた。北海岳に着くと御鉢平が見えたが、周りを取り囲む山々はガスで見えなかった。ここから間宮岳までの稜線はとても風が強かった。帰りも同じだったので、この辺りは、風が集まる地帯なのだろう。
  間宮岳を過ぎて旭岳の方に向かうと、数パーティーの人と出逢った。黒岳方面に縦走されるのだろう。裏旭キャンプ指定地は風の通り抜ける地点で、石のブロックがたくさん積んであった。ここから旭岳までは、1歩登って半歩滑るような赤茶けた急斜面で、ふくらはぎのストレッチに最適だった。この斜面には7月の遅くまで雪渓が残っているらしく、下りは要注意である。
  ようやく旭岳に到着。山頂はガスの中で、周りの景色はさっぱり見えなかった。西から吹き上がってくる風が冷たく、毛糸の帽子を被った。頂上には、ロープウェイから登ってきた人がたくさんいて、ここが100名山であることを思い出した。
  往路を戻って白雲分岐から白雲岳を往復する。頂上直下には、丸い運動場のような白雲平が広がっており、雪融け直後には、「幻の湖」が姿を現すらしい。ここは、高根ヶ原の展望台で、ゆっくりしていたいと思える場所であった。小屋には3時前に戻った。
  その日の小屋はとても静かで、私達の他は、明日ヒサゴ沼に向かう御夫婦だけであった。横のテント場には、北海道警察の人が2張りのテントを張っていた。夕方の天気予報を聞くと、翌日の夕方から天気が崩れ大雨になるとのこと。これは早く下山した方が得策だと思い、10時には大雪高原山荘に下山できるように朝早く出発することとし、その日の夜は早めに横になった。
  翌日は、お世話になった管理人さんにお礼を言って5時半に出発。大雪は山開き前の6月中旬から下旬がいいらしい。豊富な雪渓と高山植物と静かな山があるからとのこと。赤岳と小泉岳に足を伸ばして、ニセイカウシュッペ山や武利岳を眺め、まだ登らないたくさんの山があることに感謝しながら、大雪高原山荘に下山した。

4 その他
  ニペソツ山登山口、石狩岳・音更山登山口、大雪高原山荘に向かう林道は、全て未舗装である。23日夜から24日朝にかけての大雨で、大雪高原山荘から4キロほど下った地点では、増水した濁流が林道に溢れ出て道路幅の半分以上が崩れ、復旧するまでに数日かかったと聞いた。車を置いていなかった私達は、幸運にも、崩落箇所を越えて、車で迎えにきてくださっていた黒岳管理人さんに拾ってもらうことができたが、車で温泉に来られていた他の宿泊客の方はどうされたのだろう。ちょうど天人峡温泉で数百人が孤立していた時であり、旭川空港に辿り着けた幸運に感謝した。

5 謝意
  今回もたくさんの方々のおかげで、楽しい山旅ができた。特に、昨年、黒岳石室でお世話になった管理人さんには、申し訳ないほど親切にしていただいた。岩間温泉では、御友人のNHKディレクターの方や、「湯探歩(ゆたんぽ)の会」のおじさん2人とともに楽しいキャンプをすることができた。心からお礼を申し上げたいと思う。

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