例会山行?@大峰 白川又川中ノ又谷ワル谷

 今年度から初めて実施される会山行。「普段あまり関わる機会のない人たちとも親睦を深める」という目的のもと企画されたが、結果的に既に顔なじみなメンバーに落ち着いた中ノ又谷班。

6月19日(金)
京都駅22:00→道の駅上北山駐車場1:30
 N村パーティと日帰りのK西パーティを除く全てのパーティが京都駅に集合。私たち中ノ又谷班のT嶋号は空きがあるので、I野パーティのI野さんK阪くんを乗せ出発。途中24時間営業スーパー「オークワ」に寄り半額商品を買いあさる。仮眠は下北山スポーツ公園か林道終点でしようと思っていたが、他のパーティに合わせ道の駅上北山の駐車場でした。

6月20日(土)
起床4:30→駐車場出発5:30→白川又川林道入口6:00→大黒溝谷出合8:30→林道終点10:00→中ノ又川入渓10:20→ワル谷出合11:30→仏生ヶ岳16:45→楊子ノ宿避難小屋17:20
 1日目は林道歩きが長いので、余裕を持って4:30起床にしたが、みんなかなり眠そうだ。食事、パッキングを済ませ5:30に駐車場を出発。15分ほどで白川又川林道の入口に到着。しかし!林道に入ったと思ったらすぐ立入禁止の看板が。明芽谷までは車で行けると思い込んでいた私たちはここから歩くのか…とガックリ。6:00に歩き出し、歩きやすい舗装道が続く。入口の「立入禁止」は看板だけでゲートは無かったので、それさえどかせば車でも普通に行ける。明芽谷との出合付近には鉄製の頑丈そうなゲートがあり、ここからは歩きしか無理だろう。林道を歩いていると仮眠地を出るときから降っていた霧雨が強まってきた。大黒溝谷との出合に、西村パーティへのメッセージを残し、まだまだ長い林道を歩く。この後上下に林道が分岐しているところがあったが、地図を見ると標高が下がっているので下を選ぶ。この辺りから林道の状態が悪くなってきた。戦車でもなければ通行は困難だ。さらに進むと地滑り?で道が流されて、人一人がやっと通れるスペースだけが残っている箇所があった。これは戦車でも無理。林道終点は広くなっており、昔はここまで車で入っていたのだろう。
 ここからはトポのイラストを参考にしながら斜面を降り、途中からルンゼをくだった。クライムダウンで降りることができ、無事に中ノ又川本流に入渓。ここからワル谷出合までは、滝を少し巻いたりすることもあったが、基本的に河原歩きが続いた。
 ワル谷に入ってすぐ立派な10m滝が現れる。これは右から巻いた。巻き終わるとナメが少し続いており、「ワル谷」という名前にしてはきれいな渓相だと感じた。しかし、その後は水が伏流してしまい、水の音さえ聞こえないゴーロをしばらく歩く。沢登りというか森林浴に来たのかと勘違いしそうになってきたとき、やっと水が流れ出した。
この日は「焚き火ができそうなところがあればそこで沢中泊する」ということにしていたので、この辺りから適地を探しながら歩いた。しかし、なかなか広く安全なところは見つからず、次の滝場に入ってしまった。雨でかなり濡れていたので、個人的には小屋に行ってしまいたかったが、この天気の中で沢中泊する他のパーティのことを考えたとき「自分たちもせっかくだから沢中泊しようか…」という思いが頭をよぎり判断を悩ます。しかし我がパーティはもともと稜線まで抜けて小屋で泊まる予定だったので、そんなことを考える必要もないし、何より適当なテン場がないので、この日は小屋へ行くことにした。
そうと決まれば後は稜線へと沢をつめるだけ。なんだかんだでいい時間になってきている。ナメ滝や斜爆が次々と現れる。天気が良ければかなりきれいだろう。結局ロープは1回も出さず(お助け紐は何回か使用)に滝場が終わり、トポに載っている「最後の二俣」に到着。しかし、ここでトポの遡行図と地形図のつじつまが合わないことに気付く。あーでもないこーでもないと3人で悩み、結局地形図を忠実に辿って稜線への最短ルートを取ることに。途中分かりにくい分岐などもあったが、コンパスを駆使し狙い通りの沢(もはやルンゼ?)をつめる。沢登りでもこのようなシーンでは、磁北線を引いた地形図の必要性を感じた。最後はルンゼではなく、シカの足跡が残る歩きやすい斜面を上がり、仏生ヶ岳から北東に伸びる尾根に乗った。
仏生ヶ岳へ尾根を歩いていると、所々にテープがつけられていた。沢登りの人がつけたのだろうか。仏生ヶ岳で記念写真を撮る。一般道に入り、楊子ノ宿へ下っていく。フェルトソールの沢靴は、濡れた土の斜面に弱く、何回も滑りそうになった。避難小屋へ到着したのは17:20。縦走の藤田パーティが既に到着しており、温かいお茶をいただく。
お腹も減ったし、着替えが終わるとすぐに食事の用意。今晩はT嶋さんの夏野菜カレー。皮をむいたトマトを入れたりとなかなか手がこんでいる。オクラの前菜付き。18:45には大黒溝谷の西村パーティも小屋へ到着。この天気なので稜線まで抜けてしまったとのこと。H岡さんが仏生ヶ岳の下りで足を挫いてしまったらしく痛そう。
この日は結局、小屋に泊まったのは雪稜の3パーティのみで、貸切り状態。まるで静原荘での懇親会のようで、楽しい夜を過ごした。

6月21日(日)
起床6:00→出発8:00→釈迦ヶ岳11:45?→深仙ノ宿→太古ノ辻→小仲坊→前鬼林道終点
 起床時間は特に定めていなかったが、1階で寝ていた人からゴソゴソと起きだす。KS下さんの雑煮を食べゆっくりパッキングをする。空があまり暗くないな?と思っていたら太陽が顔を出した。天気予報がいいほうに外れてくれたようだ。8:00に3パーティ同時に小屋を出発する。捻挫しているH岡さんがいるためゆっくり進む。
 定期交信の11:00になったので、無線の電源を入れ、コールサインを持っているH岡さんにF澤さんへ通信してもらう。しかし応答がないので雪稜の他のパーティに呼びかけてもらうと、日帰りパーティのO村さんから応答が。現在太古ノ辻にいるとのこと。日帰り班は雨なら中止にするとのことだったが、予定通り来てくれたようだ。
 その後もゆっくり釈迦ヶ岳へ進んでいると、頂上のほうから人の声が。I野さんの声っぽいのでこちらも叫ぶ。どうやら無線の電源は入れていないようだ。その後少ししてI野さんから通信があり、現在頂上で待機中とのこと。
 11:30の交信でもF澤さんからの応答はなく、だんだん心配になってきた。11:45頃頂上に到着。K西さんの日帰りパーティ、F澤さんの前鬼パーティ以外は全員集合できている。
 H岡さんの足のこともあるので、日帰りパーティを待ちながら下山の方法について考えていると、F澤さんからの電波を受信。12:00の定期交信の時間だ。H岡さんに代わってもらい交信をしてもらう。「15:00に前鬼」という内容は分かったが、下界のアマチュア無線家が既にその周波数(145.20)を使用していたようで、「使うてるがな」という文句が入り、145.40へ移動して交信しようと伝える。しかし、その後145.20、145.40の両方で交信を試みるが、応答がなくなってしまった。「15:00に前鬼に車をまわす」なのか「15:00に前鬼に車をまわしてくれ」なのかが分からないとのこと。しかしF澤さんの話し方から既に下界にいるようだったとのことなので、日帰りパーティが到着次第下山することに。
12:30、予定通り日帰りパーティが釈迦ヶ岳に到着し、記念写真を撮影する。その後、広岡さんは高低差の少ない旭登山口のほうにK村さん、KB田さんと降りてもらい、H笠さんとS々木でH岡号をまわしピックアップしにいく作戦を立てる。その結果車の回収などに向かう一部の人のみ先に下山を開始する。途中日帰りパーティの車の持ち主の人が誰も先に下りていないことに気付きS々木がO村さんを呼びにいく。深仙ノ宿に着くと何やら真剣な表情でみなが集まっている。聞いてみるとなんと旭登山口へ通じる林道が工事中で通行止めとのこと。急いでH岡さんを呼びにいかなければ!ということでまたもやS々木がK阪くんとともに伝令に走る。千丈平へ直接行けるトラバース道を小走りで進み、千丈平に到着。するとH岡さんたちの後ろ姿が見えたので名前を叫ぶ。事情を説明しいっしょに深仙ノ宿へ向かってもらう。
深仙ノ宿に戻るとみんなが待っていてくれた。全員で下山を開始し、S々木はH岡さんの後ろについて歩く。結局、H岡さん、N村さん、KB田さん、M田さん、S々木の5人でしんがりを務め、前鬼林道終点に下山したのは○:○時だった。
その後F澤パーティを除く全員で下北山温泉に入り、帰洛の途に着いた。

<反省点>
・ 事故が起こった際のエスケープルート、エスケープ方法などを十分に想定できていなかったこと
・ 無線の操作方法を各パーティのリーダーだけでもきちんと共有しておくべきだった
・ 頂上で合流後、下山する際にパーティがバラバラになって統率が取れていなかったこと(誰かが突然いなくなったりしてもあの状況では誰も気付かなかった可能性が高い)

<感想>
・S々木
パーティのメンバーは御馴染みだったが、結果的に楊子ノ宿の小屋に3パーティが集合することとなり、会山行らしくなったと思う。今度は、あえて全パーティ1箇所に泊まるように設定しても良いのではと感じた。また、このような親睦を深めることを目的に行う山行は、今回のように2日目は余裕のある行程にしておいたほうが良いと感じた(それでも何か起こると下山は大幅に遅れてしまう)。いろいろと反省点やら課題が目に付いたが、同じ山に山岳会のメンバーみんなで集中するのは楽しい。今後も是非続けていきたい。

・T嶋
沢自体については、あまり期待はしていなかったものの、そのわずかな期待も裏切られた感じであった。小雨のなかの長い林道歩きには正直言ってうんざりだった。かつて奥剣又谷に行った時には、かなり林道が使えた記憶があるが、今回は国道からすぐの所でゲートがあった。大黒溝谷をすぎてしばらくすると、林道は荒れ、ひどい状況だった。沢はところどころにナメや美しい滝を配しているものの、崩れ落ちた岩石が沢全体を埋めているところが多く、これまた荒れた印象だった。1240mの二俣では、水が流れる左俣か、瓦礫にうまった右俣か、ながらく迷った。溯行図には左俣が本谷と書いてあるが、地形図ではどうみても左俣は南西に下り尾根に吸収される。結局地形図を信じて右俣を取ったのは、沢としてはどうかわからないが、ルートとしては正解であった。ポイントはむしろ1350mの分岐で、おそらく普通であれば見落とすようなルンゼを左にとる。出合いは滝状(といっても水はない)で側壁に見えるからややこしい。溯行図の著者はこのルンゼを見落としたばかりに、崩壊のまっただ中へ導かれて苦労したようである。岩石が崩れ落ちているルンゼは地図上では小さく見えても、実際には大きく見えるので注意が必要だ。仏生岳山頂付近はいかにも大峰といった感じの落ち着いた雰囲気で、ゆっくりしたいところだった。小屋につくと、すでに縦走班が来ており、楽しく過ごすことができた。日暮れのころ、大黒溝班も来て、いっそう賑やかになった。
例会山行全体についての問題点は別の機会に発表したい。はじめての例会山行で、集中登山の醍醐味を味わえた反面、その難しさも実感した。今回の問題点をきちんと整理して今後に生かしていきたい。

・KS下
昨年、岩屋谷へ入った時も林道入り口すぐのところから進入禁止になっていた事をすっかり忘れていた。林道終点までは、3時間半ほど。分かっていればなかなか遡行しようという気にはなれないので、今回は逆に遡行する機会に恵まれて良かったと思う。沢は、ワル谷出合いのゴルジュを過ぎるとガレ場となり途中また滝場や綺麗なナメ床が現れるがやがてまたガレ場となる。支谷からも崩落石が流れてきており今も崩壊がすすんでいる谷なのかもしれない。ここに滝や淵が埋もれているのかもしれないと思うと残念でならない。谷中では、幕営適地は見つからず、結局楊子ノ宿の小屋で泊まることになったが、夜は雨が強く降っていたいし縦走パーティや大黒溝バーティと楽しい夜を過ごせて良かった。
遡行図と地形図が一致せずに二人ならなんとかしてくれるだろうという安心した気持ちがあって最後は二人に読図を任せっきりにしてしまったことは反省。人に任せきりだといつまでたっても読図力は付かない。
6パーティーをまとめ企画から実行に携わってきた方々は、大変だったと思います。お疲れ様でした。

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